★地球圏探究サークル★
2006年信越夏合宿
海と山、星と緑 絶景を駆け抜けた2泊3日の合宿



「最後の合宿」
  「地球圏探究サークル」が発足して今年で6年。その年数と同じ、夏合宿も今年で6回目を迎えることになった。
  ちょっと振り返ってみると、

  ・2001年 大学1年  軽井沢合宿
  ・2002年 大学2年  糸魚川合宿
  ・2003年 大学3年  裏磐梯〜いわき合宿
  ・2004年 大学4年  銚子合宿(不参加)
  ・2005年 修士1年  伊豆大島合宿

  と、こんな感じである。
  そして今年2006年は、「伊豆半島合宿」と「糸魚川〜長野合宿」の2候補が挙がったが、腐敗した部員投票によって後者に決定した。 今年、自分は修士2年。来年3月には6年間居座った大学を卒業することになるので、今回の合宿は自分にとって「最後の合宿」である。 来年以降も地球圏探究サークルの夏合宿は続いていくことになろうと思うが、このHPに合宿旅行記を書けるのも、間違いなく これが最後になるだろう・・・。
  そんなこともあって、個人的に今回の合宿への思い入れは例年以上に強かった。勝手な想像であるが、 今年が最後の合宿となる修士2年や4年生の部員には少なからず同じ考えの人が居たであろう。

  そして、今回の合宿参加者は1年生〜修士2年生まで6世代・18人にものぼった。
  2003年の裏磐梯〜いわき合宿に匹敵する史上最大人数での合宿である。
  そんなこともあって、今年は7人乗り×2台+8人乗りの計3台のレンタカーで移動する大掛かりな合宿に発展した。
  ちなみに、自分はそのうちの8人乗り(トヨタのVOXY)の運転手である・・・。





第1日(8月19日)  熊谷 〜 親不知 〜 ヒスイ海岸 〜 長者温泉
☆夏空に迎えられて
  午前7時50分、熊谷駅南口に続々と部員が集結した。遂に、「最後の合宿」が幕を開けた。
  レンタカー手続きと荷物の積み込みを済ませ、午前8時半に熊谷駅を出発。幸い、遅刻者ゼロ(当然のことのように思えるが、 このサークルにとって予定通り出発できることは珍しいのが現実であるw)。
  熊谷からおよそ30分、花園ICに到着する頃には慣れないトヨタ車の運転にもようやく慣れ、その後は関越道〜上信越道を順調に飛ばした。 渋滞も無く、道路の流れは比較的順調。途中、横川SAで休憩を挟み、軽井沢のトンネル地帯を抜けると長野県に入った。
  関東地方に居るうちはドンヨリしていた空も、群馬と長野の県境を境に暑い夏空に変わった。
  次に休憩したのは長野県の小布施PAだったが、長野盆地はじっとしていても汗が出るほどの猛烈な暑さに見舞われていた。 休憩と言いつつ、外に出ないで冷房の効いた車内に居た方が快適だ。
  小布施を出発してさらに高速道路を走ること約1時間、正午過ぎには新潟県の能生ICに辿り着き、3時間半ぶりに高速道路を降りた。 そして、能生ICから5分ほど北に走ると、正面はに真っ青な日本海が見えてきた。それから国道8号線を東へ少々走り、 昼食を食べるために道の駅マリンドーム能生に立ち寄った。

☆道の駅マリンドーム能生
  小布施のPAほどではないが、能生の道の駅も日差しが強くかなり暑かった。まさに、夏の昼間という感じである。 暑いので早いとこ冷房の効いた建物に入りたい・・・、サークル最年長の自分がそんなことを思っている中、 ふと後ろを振り返ると暑さなど全く気にせずテトラポットに駆け上って大海原を眺めている男が・・・w
  って、よく見りゃうちのサークルの部長ではないか!!工エエェェ(´д`)ェェエエ工
  あぁ若いっていいなぁil||li_| ̄|○ il||li  怪我すんなよw
  で、ここへ来た本当の目的は海で遊ぶためじゃなくて昼食を食べるためである。道の駅の中には大衆レストランと海鮮食堂の 二件の食堂が入っていた。後者は少々値が張るメニューが多いものの、せっかく日本海に来たのだから自分は迷わず海鮮食堂で1,500円の 刺身定食を食べることにした。新鮮な刺身料理はいつ食べても最高だ。

☆親不知海岸
  昼食後、道の駅能生を出発し国道8号線を西へ向かった。目指すは天険の地、親不知海岸。 能生から親不知までのおよそ30km間は、ほぼずっと日本海を右手に見ながらの移動で、なかなか気持ちの良い海岸ドライブとなった。
  糸魚川の街を過ぎると、いよいよ親不知へと繋がる崖だらけの海岸が始まり、国道8号も崖の上を走る迫力の道に変わった。 海岸は遥か下に見えるようになり、崖崩れ対策のシェルタートンネルが何kmも連続するようになった。 まったくもって、とんでもない難所である。
  やがて、午後2時半に親不知に到着し、天険トンネルのすぐ手前にあるドライブインの駐車場に車を停めた。 ところが、いつの間に見失ってしまったのか後続車2台の姿がどこにもないことに今更ながら気がついた・・・w
  まぁ、今の時代こんなときには後続車とケータイで連絡を取れば済む話。 と言いたいところだったが考えが甘かったようで、なんと電波が圏外(・ー・)オワッタナ・・・ 流石は親不知、昔も今も難所だ。 でも、正直なところ、山奥ならともかく海岸で携帯の使えない場所がまだこの国内に存在していたとはちょっと驚いた。
  結局、後続車は何故か10分近くも遅れて親不知に到着した。一時は、マジでここを通過して富山県まで逝ってしまったのではないかと 本気で心配していただけにホッとしたw
  全員が揃ったところで、駐車場からすぐの場所にある展望台へ移動。その展望台からの見える景色は、 親不知の断崖や紺碧色に輝く日本海など超絶景である。自分は4年前の糸魚川合宿でもここを訪れていたのでともかくとして、 初めての部員たちはこの迫力ある景色に感激したのではないかと思う。


  展望台からの景色を楽しんだ後、今度は遊歩道で海岸まで降りてみた。遊歩道とは言っても、なにしろ比高が100mもある親不知の 断崖を一気に下っていくので、殆どが急勾配の登山道みたいなものだ。
  海岸へ降りる直前、遊歩道のすぐ脇に巨大な廃墟のトンネルが現れ、誰もが「何だコレは〜(;゚д゚) 」と口にした。 4年前の合宿のときと同じ反応であるw トンネルの正体は北陸本線の旧トンネルで、何故か塞がれることなく放置されているようだ。 相当な長さなようで、どこまで続いているのか反対側の光は見えない・・・。
  トンネルの中は天然のクーラーみたいなものなので部員一同、中で一休みしていると半ば本気で「反対側まで探検する」と 言い出す者が現れたので一応「やめとけw」と忠告しておいた。何しろ真っ暗。深みにハマり込んだら戻ってはこれまい。


  廃墟トンネルで寄り道を終えると、間もなく遊歩道は海岸まで行き着いた。遊歩道の終点付近から見えたのは、 右も左も荒波打ち付ける断崖絶壁。とても常人が歩けるとは思えない光景が広がっていたが、明治時代以前の旅人は この断崖を越えていたというのだからまさに命がけだったのだろう。「親不知・子不知」恐るべし(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル


  そして、15分ほど海岸に居座ったあとは元来た遊歩道を登り、駐車場へ戻った。たかが10分の道のりだが、 この暑さの中で急勾配の上り坂は結構辛いものがある・・・。

☆夢叶わぬヒスイ探し
  午後3時30分、親不知海岸を出発。そして、このあとは宿のチェックインタイムが迫るまで道の駅「親不知」前の 海岸でヒスイ採取に挑戦した。親不知と言えば、断崖絶壁の景勝地であるとともにヒスイが採れる海岸としても有名で、 そもそも糸魚川周辺が合宿の候補に挙がった理由の一つがヒスイ目当てだった。
  親不知海岸と道の駅「親不知」は目と鼻の先にあるので、車で5分ほどで到着した。ここはさっきの海岸とはだいぶ様子が違っていて、 海水浴場を兼ねた広い砂利浜が広がるヒスイ採取には好条件な海岸だ。ちなみにヒスイは高価なものになると1個何十万円もの値がつく こともある。それを知ってか、部員の中には「一攫千金」などと豪語する者も居たような居なかったようなw
  まずは、道の駅の中にあるヒスイ館に展示されてた本物のヒスイ原石を見学し、それからいざヒスイ採取を開始した。 だが、ヒスイなんてそう簡単に見つかるものではない。その前に、いくら本物のヒスイ標本を見学したとは言え、 ヒスイと普通の石を見分けること自体が簡単ではない。
  そうこうしているうちに、ヒスイらしい石は全く発見できないまま1時間が経過…(ノд・。)
  やがて、修士2年や4年生の「年配組み」はの一部はヒスイ採取に飽きて、海岸で「波逃げゲーム」を始めてしまった。 波の引き際に海岸ギリギリまで行き、大波が来たら全力疾走で陸へ向かって全力疾走で逃げる。失敗すれば靴びしょ濡れ、 という小学生がやりそうな実にくだらないゲームであるw
  ま、それが20歳を過ぎた我らにとっても楽しいわけであるがw  ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
  そんなことをやっているうちに午後5時半近くになってしまい、海岸から引き上げることになった。 後半遊びに没頭していた自分が言えたザマではないが、結局ヒスイを発見できた部員はゼロだった・゚・(つД`)・゚・
(怪しげな石は翌日「フォッサマグナミュージアム」の学芸員に鑑定してもらったそうであるが、結果は全て( TДT)
  ちなみに、ヒスイ採取ために海岸に居座っていた1時間半の間、ずっと海水浴に没頭していた者が若干1名居たことを 最後に付け加えておくw


☆茅葺屋根の民宿
  午後5時半、道の駅を出発し、夕暮れ日本海を眺めつつ国道8号を東へ向かい一路今夜の宿を目指した。 宿は、昼過ぎに高速道を降りた能生ICの近くにある長者温泉という場所である。国道8号を左折し、 細い山間の道を2〜3km進んでいくと、ドン詰まりの小さな集落の中にある一軒宿の民宿「長者温泉ゆとり館」に到着した。 外見は茅葺屋根の素朴な雰囲気がなかなか宜しい宿だった。


  到着が午後6時を過ぎていたので、部屋に荷物を置いてすぐに夕食になった。夕食は昼に続いて刺身を はじめ結構なボリューム ―>゚))))彡- ―<コ:彡-  1泊5000円級の宿としてはなかなか上出来な印象だ。
  夕食後は風呂を済ませてから夜の海岸へと繰り出した。この日のためにとある部員が超大量購入しておいた 花火をブッ放つためである。

☆修羅場と化した花火大会
  花火に適した海岸を探すために国道8号を10分くらい彷徨っていると、ようやく花火をしても問題なさそうな海岸が見つかった。 そして、いよいよ花火の準備が始まったわけだが、車から降ろされた花火の量を見て思わず唖然。大量とは聞いていたが、まさか これほどの量とは( ゚д゚)ポカーン
  巨大な手持ち花火セットが5袋+噴出しや打ち上げが何十個もあるwwwww これはちょっとやそっとでは始末しきれまい。 そう思った自分は早速悪乗りさせてもらうことにした。手持ち花火を10個まとめて点火したり、海岸に大量の花火を突き刺して 一斉点火させたり、もうやりたい放題w


  それに加え、噴出し花火の連続点火が始まると花火大会は完全に修羅場と化した。もはや、「夏の海岸で夕涼み・・・(´ー`) 」などという 風流な世界はどこにも存在しなくなっていた。むしろ当てはまるのは「戦争っ(゚Д゚)! 空襲っ(゚Д゚)!」。
  結局30分以上も花火を続けたにもかかわらず、全ての花火を消費することはできず飽きがきて、花火は終わりになった。 なお、半数の人は気がついていたが、花火から目を逸らして夜空を見上げると素晴らしい星空+天の川が見えていた。
  花火大会終了後は、コンビニに立ち寄ってから帰宿したが、もう深夜12時を過ぎていた。 その後、余力のあった人は深夜2時頃まで飲み会やトランプ大会をしていた。しかし、今日一日かなり濃厚な日程で みんな疲れていたこともあって、去年の伊豆大島合宿のようにほぼ一晩中起きている者はさすがに皆無だった。





第2日(8月20日)  長者温泉 〜 ヒスイ峡 〜 星と緑のロマン館
☆フォッサマグナミュージアム
  夏合宿2日目は、午前9時前に長者温泉ゆとり館を出発した。今日最初の見学場所はフォッサマグナミュージアムのはずだったが、 その前に糸魚川駅に寄ることになった。残念なことに、体調不良で途中帰宅することになってしまった部員を駅に送るためだ。
  見送りを済ませた後は、予定通りフォッサマグナミュージアムへ。このフォッサマグナミュージアムも親不知と同じく、 4年前の糸魚川合宿でも見学した場所だ。「フォッサマグナミュージアム」と言いつつも、展示の半数は糸魚川原産のヒスイを始めとした 世界の珍石・宝石・化石という内容である。
  この博物館、展示内容はかなり濃いものがあり、特に鉱物マニアの人にはいくら見ていても見飽きないようで、 中にはかなり長時間かけて見学している人もいた。自分は3回目くらいなので結構あっさりと見終えてしまったが・・・。
  ちなみに、フォッサマグナミュージアムにはいわゆる「偽ヒスイ」、つまりヒスイに酷似しているのに価値の無い石も 展示されていて、それを見ていると如何にヒスイ採取が困難であり無謀であるか、実感させられる。


☆フォッサマグナパーク
  1時間半ほどフォッサマグナミュージアムを見学し、午前10時40分に博物館を出発。このあとは見学場所が山奥へ移動し、 食料調達が困難になることが予想されるため、糸魚川駅前のスーパー「ナルス」で昼食弁当を購入した。
  その後は国道148号を南下し、糸魚川静岡構造線、つまりは北米プレートとユーラシアプレートの境界を 実際に見ることができるというフォッサマグナパークを目指した。
  そして30分後、国道端にある公園駐車場に到着し。車から降りて、いざ公園内に入ろうとするとどうも様子がおかしい。 歩道の入り口には「通行止め」の標識が建てられ「雪崩で遊歩道が崩落」したとの但し書きが目に入った。 結局、公園の裏口からなら入れるとのことなので、再度車に乗り込み移動することになった。
  しかし、これが思ったよりも遠く、少なくとも500m以上離れた場所に裏口は存在していた。 しかも、正面口から500m以上遠ざかった分、この炎天下の中を境界露頭まで15分も歩くハメになってしまった。 昼飯を前にして、予期せぬ体力消費であるヽ(`Д´)ノ
  そんなこんなで、暑さの中でとんだ回り道をさせられたものの、全員がどうにか境界露頭まで辿り着いた。 露頭は異なった色の違う地層が隣り合っていて、両者にはそれぞれ「北米プレート」「ユーラシアプレート」と書かれていた。 露頭に近づいて見てみると、実際に全く地質が違っているのがよく分かる。両プレートの間にはドロドロした粘土質の破砕帯が あるのも分かった。ここも解説板がなければタダの断層か不整合にしか見えないのだろうけど、 「プレート境界」と言われるとすごい物を見ているという気にさせられるから不思議なもんだ。


  最後にどうでもいい余談だが、フォッサマグナパークの裏口には何故かドラえもんの石像が置いてあったが、 アレの存在意義は一体何なのか、今なお謎であるw

☆ヒスイ峡
  フォッサマグナパークを出発した後はさらに国道148号を南へ走り、ヒスイ峡へ向かった。 しかし、そのヒスイ峡へ向かう道が運転者にとってはかなりの難関だった。国道148号を走っているうちはいいものの、 国道を右折してヒスイ峡に行き着くまでの約5km間は乗用車同士でのすれ違いができるかどうか微妙なくらいの狭い道で、 こんな場所で大型車でも来ようものなら間違いなくパニックだろう。
  さらに、ヒスイ峡が近づくにつれ、右側は深さが何十メートルもある深い峡谷になってきた。落ちたら命はあるまい。 思わずハンドルに力が入ってしまう・・・。
  午後1時前、幸い何事も無くヒスイ峡に到着。巨大なヒスイの原石がゴロゴロと転がる特別天然記念物のヒスイ峡で 昼食弁当を食べることにした。このヒスイ峡は、もちろんヒスイを持ち出したり壊したりすると御用になるが、 ヒスイに触ったり、ヒスイを椅子代わりにして弁当を食べるのはOKだ。
  そして、ヒスイ峡を流れる川の水は非常に冷たくて、ヒスイ峡を吹き渡る風は秋風のように涼しかった。 さっきまでの暑い下界とは別世界である。あまりの心地よさに、自分は弁当を食べながら巨大なヒスイ原石の上に寝そべり昼寝もしたw  何百万円もする宝石のうえで昼寝とは、何とも贅沢な気分である(´ー`)
  なお、ヒスイ峡ではヒスイからヒスイへジャンプする遊びをしていて、下半身をずぶ濡れにする者が数人居た。 ちなみに、自分もその一人であるil||li_| ̄|○ il||li


☆新潟県から長野県へ
  午後2時15分、ヒスイ峡を出発。ヒスイ峡にはトイレがなかったので、すぐに近くのキャンプ場のトイレに寄った。 が、そこではアブが大量発生中! 駐車場もトイレの中もアブだらけで、非常に落ち着かない気分のトイレだったw
  それからは元来た狭い山道を国道148号まで戻り、さらに国道148号を南下。やがて、道路は姫川渓谷の長いトンネル地帯に入り、 新潟県と長野県の県境を越えた。ここから先、合宿後半の舞台は長野県にバトンタッチである。
  長野県に入って約30分、道路は姫川の峡谷&トンネル地帯を抜け出し、 雲の切れ間から北アルプスが見えるようになってきた。 そして、リゾート地の雰囲気が漂う白馬村の中心地を過ぎたところで、ジャスコに寄った。今夜のバーベキューに備えて 肉や野菜を調達するためである。
  こうして夕食の準備を整え、今夜の合宿地である小川村へと向かうことになったわけであるが、自分の運転するBOXYだけは 合宿を途中退場する後輩を送り届けるために長野駅を経由し、小川村への到着は1時間くらい遅くなった。 長野駅へ向かう途中、突然土砂降りの雨になった。午前中はあんなに晴れていたのに・・・。そもそも、 今夜の宿泊地が小川村になった理由は星が綺麗なことで有名な場所だったからだ。 そうなると今夜はどうしても晴れてほしいのだが・・・。

☆小川村 星と緑のロマン館
  午後6時、小川村の星と緑のロマン館に到着。長野市内で降っていた土砂降りの雨はこっちでは降っていなかったようだが、 それでも空は厚い雲に覆われてしまっていて、星空が期待できそうな感じではなかった。
  ロマン館の前では、どこかで見たことのある顔がバカ騒ぎをしながら自分らを出迎えていた(うちの部員ではない)。 その彼らの正体は、高校時代の地学部仲間である。でも、何で高校時代の仲間がこんな場所に居るのか・・・、話せば長くなるが一応説明すると・・・。
  この「星と緑のロマン館」は、そもそも自分が高校時代に所属していた地学部+地学部OB会が毎年合宿に利用している場所だった。 そのことを、合宿計画段階でうちのサークルに紹介したら、「ぜひ行ってみよう」ということで宿が「星と緑のロマン館」に決定した。 と、ここまでは何の不思議もないお話である。
  ところが、偶然とは実に恐ろしいもので、なんとまぁ「地球圏探究サークル」の合宿日と「地学部合宿日」がブッキングしたのである。 そこことは事前に発覚してはいたものの、やはりこんな場所で再会するとテンションは上がるもので、 大学仲間とロマン館に到着した途端、高校時代の仲間と再会し大騒ぎ、と言う訳であるw
  それはともかくとして、高校時代の仲間と再会したのは良いが、先に到着しているはずの地圏探部員がどこにも見当たらない。 飯の準備をしてくれているのかと期待してバーベキューハウスを覗いてみたがダレモイナイ…(ノд・。)
  ロマン館の敷地は結構広いのであちこち探すのに一苦労したが、結局みんなは宿泊棟のコテージの中で待っていた。


☆ロマン館の夜
  それから間もなくして、夕食のバーベキューが始まった。と言っても、自分は殆ど食べられなかった。 調理に夢中だったから!と、カッコつけたいところだが、 本当は隣接のローラー滑り台とアスレチックで遊ぶのに夢中で、気がついたときには殆どの食材が食い尽くされていたからであるw  はい、どう見ても自業自得です。本当にありがとうございましたil||li_| ̄|○ il||li
  夕食を済ませた後はプラネタリウムの上映を見に行った。夜にプラネタリウム、と言うのも何だか不思議な感じがするが、 宿泊施設と一体化しているために、ここではごく普通のこと。
  そして、ここのプラネタリウムの解説はなかなか面白い。 何故なら、台本に沿ってばかりの解説ではなく、半分くらいアドリブで上映が進んでいくからだ。 かつて高校時代の合宿で訪れた時にはここでプラネタリウムの操作まで体験させてもらったことを懐かしく思い出しつつ、 名調子で進んでいく星空解説を楽しませてもらった。

☆星空の復活
  さて、プラネタリウムの見学が終わり、この後はいよいよ星が見える兆しが無いので隣接する天文台にある大型望遠鏡を 見学させてもらって解散になるはずだった。ところが、プラネタリウムが終わってみるとなんと雲の隙間から星空が・・・
キタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)人(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━ッ !!!
これは奇跡だと言うことで、天文台の管理人(=プラネタリウムの解説員の人)が 急遽大型望遠鏡で観察会を開いてくれることになった。
  流石は60cm光景の望遠鏡とだけあって、例えば琴座のベガなど普通の恒星でも宝石が輝いているように眩しく見えるから凄い。 ただ、星が見えたとは言えども雲の隙間から見えただけでそれほど好条件でもなく、 星雲などの淡い天体を大型望遠鏡で見ることはできなかった。
  観察会は1時間ほどで終了、それから天文台の人としばし立ち話になり、自分が毎年ここで合宿をしている高校のOBであることを話すと とても喜んでくれた。また、話の中でうちのサークルの後輩の父親と天文台の人が知り合いだったことも発覚。 世の中の狭さというものをまた一つ知ることになった。
  それから地圏探部員の半数は深夜1時頃まで星空観察をした。もともと空が暗い場所なので、薄雲を通して薄っすらと 天の川も見え、突然流星が空を横切ることも何度かあった。それにしても、流星が見えると一斉に「ウォ〜〜!(;゚д゚) 」 という声が聞こえ、必ずとそのあと「え?どこどこ?(;゚д゚) 」と言う人が居るので面白いw
  ちなみに、自分は星空観察を抜け出して出身高校の地学部が宿泊している建物にもちょっとだけ顔を出し、 OB仲間や恩師と面会する場面もあった。
  こうして、慌しくも合宿2日目終了。早いもので、明日はもう最終日である。





第3日(8月21日)  星と緑のロマン館 〜 草津白根 〜 鬼押出し 〜 熊谷
☆長野盆地を越えて
  合宿最終日、今日は朝から曇り空だった。そればかりか、北アルプスの方向には灰色の雲が覆いどこからか遠雷が聞こえてきた。 昨夕に続き、今朝も自炊による朝食を済ませ、午前10時前に星と緑のロマン館を出発した。
  最終日の今日は、草津白根山と浅間山を経由して熊谷へ帰る予定である。 まずはロマン館のある山を降り、国道19号を経由して長野市内を通過。そして、リンゴ畑に囲まれた長野盆地を国道18号で北上し、 午前11時半頃、道の駅「やまのうち」でトイレ休憩した。
  そして、道の駅から先は草津白根山へ向かって標高300mから標高2,000mまで一気に山登りとなった。相変わらず天気はパッとせず、 標高が上昇するにつれて道路も時々霧の中に突入するようになった。特に、長野県と群馬県の県境にある標高2,173mの渋峠 (国道最高地点)周辺はかなりの霧に包まれ、景色も何もあったものではなかった・゚・(つД`)・゚・
  しかし、渋峠からほんの少し先に位置する草津白根山に到着してみると運良く霧が解消し、視界が切れていた。 もし濃霧だったら駐車料金の無駄なので、草津白根山はスルーすることも検討していただけに霧が晴れてくれて一安心である。

☆草津白根山
  草津白根山に到着して車を降りるが、とりあえず寒い。流石、標高2000m。昨日のヒスイ峡みたいに「心地よい」などと 言っていられるようなレベルではなく、本当に寒い!( TДT)
  とりあえず、火山見学へ行く前に食堂で昼食を食べることになった。メニューはカレーなど殆ど在り来たりのものだったが、 一つだけ「噴火ラーメン」とやらが気になったのでそれを食べることにした。内容は名前から想像できる通り、唐辛子入りの辛口ラーメン と言うわけであるが、思ったほどの辛さではなかった。
  昼食後は皆で火山見学へ。駐車場から火山噴火で荒れ果てたガレ場の中を行く遊歩道を10分ほど歩き、草津白根山の火口湖「湯釜」を 一望できる展望台に到着した。ここからの景色は感動ものである。エメラルドグリーンの水を湛える湯釜は神秘的で素晴らしい。 霧が晴れてくれていたことに本当に感謝。
  全員が展望台に揃ったところでメンバー全員で記念撮影し、草津白根山を後にした。


☆最後の大修羅場と化した浅間山鬼押出し
  いよいよこの次に目指すは、この合宿最後の見学地である。日本有数の温泉街として知られる草津温泉街を通過し、 およそ1時間後の午後3時に浅間山の鬼押出しに到着した。
  鬼押出しは江戸時代の浅間山大噴火によって流れ出た溶岩が造り出した広大な景勝地だ。 ここは園内が結構広いので1時間ほど自由見学時間をとり、それぞれ遊歩道を散策することになった。


  自分も6〜7人の部員とともに鬼押出しを散策していたわけだが、やがてまたしても天気が怪しくなり始めた。 空が急に地獄のような暗さになり、どこからか雷の音も聞こえてくるようになった。 最初のうちは「ま、何とかなるんじゃんw」と甘く考え、 さらに灰色の雲の下で怖い系の着メロを流すなどしてこの状況を面白半分に楽しんでいたが、 これが10分後にはとんでもない大修羅場に発展してしまった。


  突然襲ってきた滝のような雨+テボドン直撃を彷彿とさせる至近距離への落雷(((( ;゚д゚)))アワワワワ   もはや溶岩見学どころではなくなり、みな散り散りに屋根のある場所に避難した。 所詮夏の夕立なので最悪の状況は15分も経たないうちに解消し、傘を差せば歩けるようになったが、一時はマジでどうなることかと 思った次第である。
  それから土産などを買い、集合時間になったので車へ戻ろうとした矢先、またしても土砂降りが襲来した。 川のようになった道路を走り、大慌てで車に飛び乗ったものの、結局は昨日ヒスイ峡で川に落ちた時よりも酷い有様になってしまったil||li_| ̄|○ il||li

☆後夜祭
  こうして2006年の夏合宿は全見学地の巡検が終了し、碓氷軽井沢ICから上信越道を経由し、午後7時半に熊谷駅南口に 無事戻ってきた。事故もなく合宿を終えられ運転者として任務終了の安堵を感じるとともに、これで最後の合宿が 終わったかと思うと非常に寂しく思えてきた・゚・(つД`)・゚・
  3日間なんて実にあっけなく終わるものである。
  ちなみに合宿解散後、修士2年と4年生を中心に荒川の河川敷へ行き「残火処理」と称したちょっとした後夜祭を行った。 つまり、合宿中に消費しきれなかった花火を数人で処理したと言うわけである。
  ま、しかし、なんと言うか、この後夜祭・・・。合宿本番のバカ騒ぎ花火に比べたら何とも地味で、 やっているうちに益々寂しくなってしまった…(ノд・。)

そして午後9時


ささやかな後夜祭の花火も


最後の一本が燃え尽きた


さようなら・・・・


最後の合宿


「2006年信越」




ちなみに、このあとシラフで帰宅すると本当に虚脱感のあまり鬱になりそうな気がして、サークルの某後輩と差しで 2時間ほど飲み続けてから帰宅したのであったw






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